悲しみは言葉にならない 加藤和彦死す‥‥

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中学2〜3年の頃、フォークルは正しく一世を風靡していた。我輩のきっかけは世間一般がそうであったように深夜放送のラジオから流れていた「帰ってきたヨッパライ」だった。
当時ギターの弾けなかった我輩であったが、フォークソングの虜になっていったのだ。
高校生になってすぐ新しいクラスメイトになった奴から TV番組の出演の誘いがくる。東京12チャンネルで夜10時頃(?)に放送していた土井まさると加藤和彦が司会をする音楽バラエティ番組だ。その中のコーナーのひとつに「ウケた方が勝ち、歌合戦」というものがあってそれに応募して当たっちゃったんだと言う。
もう一人を誘い三人組で「月光仮面」のパロディーをやり、めでたく優勝した我輩たちであるが。
東京12チャンネルの楽屋というのが大部屋で、今では信じられないだろうが(土井まさるはいなかったように記憶しているが)同じ楽屋に加藤和彦とゲストだったジローズの杉田二郎もいたのでありまつよ。番組の撮影は二本撮りだったため、我輩たちの優勝の回の撮影の後再び楽屋で加藤和彦と一緒であった。
出番が終わり緊張感から解かれた我輩たちは遠慮なく話しかけ、加藤和彦もきさくに応じてくれていた。その時、我がメンバーの一人(唯一ギターが弾けた奴)が、厚かましくも「あの素晴らしい愛をもう一度のイントロ教えて下さい!」とリクエストしやがった。驚くべきは加藤和彦は親切にも時間を割いてピッキングだけじゃなくコード進行上のテクも教えていた(ようだ)。
帰り道にその友人にギターを教えてくれと頼んだ我輩。
「基本を覚えるより、やってみたい曲をコピーしながら覚えた方がいいぞ。何やりたい?」
と我輩に上から目線で訪ねる友人に、キッパシ!こう言い切ったのだ。
「あの素晴らしい愛をもう一度」
‥‥だから我輩は C / Em / F / G7 / Am / Dm / D7 / G / G7sus4 などのコードと同時にスリーフィンガーピッキングを覚えるというギター修行のスタートを切ったのである。
その後、吉田拓郎をコピーすることに生き甲斐を見つけ毎日深夜放送を録音し朝までにコピーし、翌日クラスで発表するなんてことを繰り返していた。原点はトノバンこと加藤和彦である。
あのキャラクターから、自らの人生に幕を下ろすなど到底考えられない。あの大部屋楽屋での優しさがなかったら我輩の人生の方向も変わっていたかもしれない。悲しい。

「あの素晴らしい愛をもう一度」の3番の歌詞〝あの時、風が流れても変わらないと言った二人の‥‥〟には元歌詞がある。それは〝あの時、星になりたいと夜明けまで泣いた二人の‥‥〟である。今夜はその歌詞にして口ずさんでみる。謹んでご冥福を祈る。





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「悲しみは言葉にならない」北山 修 & 加藤和彦

悲しみは言葉に ならない 深すぎて 喜びも しみじみと 噛みしめるもの
嗚呼 あふれる思いを 空の雨に託して 涙声でも 大丈夫 胸を張れ
ため息はつくもの 誰もいない公園で 幸せを逃がさず そっと忍んで
嗚呼 心の中で「抱きしめたい」とつぶやき 花束高く 振ってます 見えますか
嗚呼 生木を引き裂く 熱い痛みは殺して 慎み深く 涼やかに 凛として
燃えたぎる炎は 明日のバネにして 気持ちはしるしだと そっと差し出す
ひとこと「おめでとう」 恩返しはいらない 天気はくもり 後に晴れ 後に晴れ
嗚呼 悲しみは言葉にならない 深すぎて 天気はくもり 後に晴れ 明日も晴れ

悲しみは言葉に 言葉にならない



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