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日々精進

陽は昇りまた沈む 【デヴィエ死す】

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森繁が「屋根の上のヴァイオリン弾き−Fiddler on the Roof−」のテヴィエ役を公演900回を終えて自ら降板したのは1986年。もう20年以上も前だったのかと意外に感じている。
市川染五郎(→松本幸四郎)の「ラ・マンチャの男 −Man of La Mancha−」の観劇回数に続き、記憶では6回ほど舞台の森繁を見に行っている。WOWOWで1982年に初のTV放送(劇場中継)がなされ、録画した1本のビデオテープは我輩の宝のひとつになっていて、今HDにダビング中だ。
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テヴィエ役を降りるにあたり森繁は後継者として上條恒彦を指名した(その後、西田敏行が長く演じ、最近では10月の日生劇場の公演で市村正親が演じている)。上條恒彦は森繁テヴィエの公演で肉屋ラザールを好演していたが、我輩は納得のいかない主役交代劇であった。
森繁の代名詞であったテヴィエを演じられるはずがない!というのがその理由でR。
その時我輩が森繁の代わりになると、唯一「森繁テヴィエ」と同格に演じきれると確信した俳優がいる。
渥美清である。
森繁テヴィエの根源には【喜劇役者】があり、それが必要条件。そして喜怒哀楽の内「哀愁」を表現出来て涙を流させる演技が期待出来る、それも長らく続ければ森繁の代役、亜流でなくテヴィエの代名詞になり得る俳優。その十分条件を満たすのは渥美以外考えられなかった。渥美清が舞台で「伝統の歌」「もし金持ちなら」を、娘の結婚式で「SUNRISE,SUNSET」を歌う姿を想像したものだ。
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その渥美清は既に世を去り、そして森繁も本日‥‥本当に舞台を降りてしまった。
ご冥福を祈りながらダビング中の舞台をボーッと眺めている。
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−11月10日19時50分配信 読売新聞−
 映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、戦後の映画、演劇を牽引(けんいん)、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが、10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。96歳だった。
 大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。
 後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。テレビやラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。
 日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。





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by anton_min | 2009-11-10 22:22 | 日々精進

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