市川染五郎(→松本幸四郎)の「ラ・マンチャの男 −Man of La Mancha−」の観劇回数に続き、記憶では6回ほど舞台の森繁を見に行っている。WOWOWで1982年に初のTV放送(劇場中継)がなされ、録画した1本のビデオテープは我輩の宝のひとつになっていて、今HDにダビング中だ。
森繁の代名詞であったテヴィエを演じられるはずがない!というのがその理由でR。
その時我輩が森繁の代わりになると、唯一「森繁テヴィエ」と同格に演じきれると確信した俳優がいる。
渥美清である。
森繁テヴィエの根源には【喜劇役者】があり、それが必要条件。そして喜怒哀楽の内「哀愁」を表現出来て涙を流させる演技が期待出来る、それも長らく続ければ森繁の代役、亜流でなくテヴィエの代名詞になり得る俳優。その十分条件を満たすのは渥美以外考えられなかった。渥美清が舞台で「伝統の歌」「もし金持ちなら」を、娘の結婚式で「SUNRISE,SUNSET」を歌う姿を想像したものだ。
ご冥福を祈りながらダビング中の舞台をボーッと眺めている。
映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、戦後の映画、演劇を牽引(けんいん)、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが、10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。96歳だった。
大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。
後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。テレビやラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。
日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。