東京プロレスが消滅し、猪木が日本プロレスに復帰した頃。
記憶が定かではないが、猪木がウイルバー・スナイダーに決めたアブドミナル・ストレッチ(コブラ・ツイスト)に魅されて猪木信者になった我輩であります。日本の格闘技界には猪木がいた(対極の位置には馬場がいた)のであります。猪木率いる新日本プロレスは馬場全日本と比較して決定的に劣っていたのは当時の米国一流レスラーを招聘出来なかったこと。
馬場に対抗するために猪木が取った戦略は3つ。
①タブーとされていた日本人(又は準ずる)スター選手同士の対決。
②アリ戦を頂点とする異種格闘技戦「格闘技世界一決定戦」。
③メジャータイトルを否定するための IWGP(International Wrestring Grand Prix)構想。
②はその後、現在の総合格闘技の原点ともなるべきものでありました。PRIDE (その後の DREAMやSRC)や UFC で使われているオープン・フィンガー・グローブは 猪木VSウェップナー で初めて採用されたものであります。詳しくは説明しないが、アントン・ハイセルがなけりゃーなぁ。新日本も分裂しなかったのに‥‥ねぇ。でも、それだからこそ総合格闘技の誕生に拍車がかかったんですよ。
プロレスを斜陽に追い込んだ総合格闘技(PRIDE / HERO'S / 戦極 / DREAM / SRC)が米国の UFC を除き下降線を描き出したこの頃‥‥プロレスに回帰しても良さそうなものでありますが、そこには猪木も馬場も鶴田もいないのであります。